仙人と俗人の狭間で

最近、亡義父の形見のカメラを譲り受けた。

昔ながらの、所謂コンパクトカメラである。

使ってみようかと思い、ハタと気付いた。

ここ数年、フィルム(銀塩という)カメラを使ってないことを。

 

かつてはフィルムを大量に購入し、

大量に消費していたのに、

今ではデジカメばかりである。

 

思えば、銀塩時代は構図や絞り、

シャッタースビード等を考え、

ピントを合わせ、息を詰め、

「闇夜に霜の降る如く」心静かに、

一枚一枚丁寧にシャッターを切ったものだが、

デジカメになり、

撮影枚数を気にしなくなったせいか、

『とりあえず撮っとくか』と

丁寧さに欠ける様になった。

一枚への想い入れが、

薄くなった様な気がする。

 

しかしながら、そのデジカメの販売にも

陰りが見え始めているらしい。

云わずと知れたスマホ(スマートフォンの略だから、

正式にはスマフォだが、なぜか皆こう発声する)のせいである。

当初は大した性能ではなく、

単に「撮れる」というだけだったが、

今やコンパクトデジカメを

凌駕する性能・使い勝手だ。

 

カメラ各社は主流を、利幅の大きい

高級コンパクトデジカメにシフトしつつあるが、

元より台数が望めるハズもなく、

某N社に至っては発表⇒発売延期を経て、

結局は販売中止となった。

理由は開発費の増加、市場規模縮小に伴う

販売想定数の減少だという。

その上、千人規模のリストラを行う始末である。

 

更にはデジタル一眼レフも

全体として横這いか、下降傾向が見られる。

市場も飽和状態の上、

いくら高性能、多機能であろうとも、

多くの人には手軽に撮れるスマホで充分なのだろう。

 

「足るを知る者は富む」という禅の教えがある。

―今を満ち足りたものとし、

現状に不満を持たない者は、

満ち足りた心で生きてゆける。

己の身の程を知り、

それ以上を望まないことが、

豊かに生きるということだ―という意味である。

 

最新・最高を求め、流行に振り回され、消費のカモになるか。

必要にして充分と、現状に満足し、感謝するか。

「仙と俗」を問われている様である。

 

だが所詮は人の子。仙人には成れない。

身の程知らずかも知れないが、

やっぱり……新しいカメラが、欲・し・い……。

 

(俗人の瑞鷹)